23歳の夏、派遣先に向かう電車でめまいがして、明大前のホームにしゃがみこんでしまった。乗り換え客達は誰一人として声をかけてくれず、何とか自宅のある西永福駅まで辿り着き派遣先に電話。「了解です」しか言わない新入社員に、お大事にくらい言えないもんかね!と一人プンプンしながら寝てたら治ってたので、多分夏バテだったのだろう。
というような事を、当時、何気なくmixiに書いた事がある。
そしたら、そんなに仲良くないダンサーやDJからもバーっとコメントがついて、慌てて元気です投稿をした。
悩んでます
体調悪いです
振られました
ここら辺にコメントがつくのは、そこに優位性が生まれるからだ。当事者に対し安心してコメントができる「優位性」。それを世間では「心配」と呼ぶ。
そこに気づかず、「心配されること」に快感を覚えて突っ走ってしまうのがいわゆるメンヘラなのだな、と実感した出来事だった。
その後、自身がコメントしたり相談を受けたりするときも、いったんそこを考える様にしている。
いま私は、(不確かな)優位性から物を言おうとしていないか?
何事も、無自覚が一番怖い。