SATCが好きで、今でもよく観ます。どの役に感情移入するかが年を重ねて変わったのが面白いと思ったので書きます。(長文です)
この作品の主人公は4人の女性。年齢も職業も性格もバラバラな彼女らが過ごすニューヨークでの日々が描かれています。
キャリー→セックスコラムニスト
シャーロット→ギャラリー勤務からの主婦
ミランダ→大手の敏腕弁護士
サマンサ→PR会社代表
テーマも様々です。
恋愛、セックス、仕事、介護、病気、子育て、故郷、親との関係、シングルでいる事、結婚、宗教、コンプレックス、お金……
ストーリーテリングをコラムニストのキャリーが務める設定なので、出てくる"言葉"も練られてて面白い。英語の勉強にもなります。
この作品を初めて観たのは私が18歳の頃でした。その頃からキャリーの、ベクトルがすーぐ自分に向く(が故にオシャレなのだが周りに迷惑もかける)ところが下品だなと思っていて、それは今観ても一緒です。という事は自分がそういう人になりたくないという軸はブレてないのだなと分かります。
また、シャーロットもお嬢さま特有の自己中心性があり、ちょっと苦手だなという印象は変わらない。だからこそ浮世離れした優しさと寛容さがあるものの、実世界ではある程度の距離を置いてきたタイプ。
一時期、ミランダの様々なコンプレックスから来る意固地さに共感してた時期もありましたが、その真っ直ぐさ故に人をジャッジしちゃってよく傷つけちゃう。彼女はスティーブに出会いありのままの姿を受け入れられて変わっていくのですが、これはもうスティーブありきな気もするので、ラッキーだったという他にありません。もちろん、自身が弁護士でありつつ、バーテンダーで子どもっぽい所もあるスティーブを選んだ決断力はスゴイと思います。
注目すべきは、ずっと奔放過ぎると思ってきたサマンサ。彼女は欲望のままに色んな人と寝るのですが、今見返すとそこには美学のようなものがあるのです。全てちゃんと自分で選んでいるから、相手にヤキモチや困ったりはしても、責任転嫁することが一切ない。キャリーやシャーロットがすぐ相手のせいにして自分を守ろうとするのに対し、これはスゴイと思います。この品格に、かつての私は気づかなかった。シーズンの後半で乳がんを患うのですが、悲劇のヒロインぶる事は一切なく、セフレ→パートナーに昇格した若手俳優スミスと共に乗り越えます。この時も一度スミスに「無理しなくていいよ」と告げるのですが超カッコイイ。あとこの人は、怒りは表すけれど(女性だからと担当外されそうになった時のクライアントに啖呵切るシーン、良かったなぁ…)人をジャッジしません。相手の決断を尊重する。その上で意見を求められたら言う。だから、キャリーが何もかも捨てて芸術家ペトロフスキーとパリに行くー!と言った時も、楽しんで行ってきなさい!と言える。でもキャリーとずっとグダグダやってた実業家ビッグがパリに迎えに行ったほうがいいかと相談を持ちかけると、きちんと相談に乗るのです。他人と自身の間にしっかり距離が取れてる役だなと思います。
そう。34歳になった私はいま、完全にサマンサ推しです。
長くなりましたが最後に、地味だけどいいな〜と思うシーンを紹介させてください。
それは、4人が食事をするシーン(彼女らは週末に定例ランチ会を開いている設定なので、よく出てきます)。
「私はこのサラダを」
「このサンドウィッチの〇〇って抜けます?」
「このデザート美味しそう。ひとつ付けてください」
「私今日食欲ないからコーヒーだけにしようかな」
飲食店のあり方の違いもあれど、ベタッとした同調圧力なく食べたいものを好きにオーダーできる関係性いいなぁって毎度思います。