私が一番好きなのは高峰秀子の文章なのだが、彼女の事を教えてくれたのは、24歳の時に出会ったとある物書きオジサマだった。
彼がプレゼントしてくれたのは『わたしの渡世日記』。ずいぶん古臭い装丁だなぁ…としばらく放置した後、読み始めた途端にハマった。高峰秀子の活躍の影にあった、非情な養母やお金にたかる親戚との争い。戦時中のエピソード。日本を飛び出してパリ留学した時の話もこの本だっただろうか。全て彼女自身の話なのに、どこか冷めた視点で、しかし活き活きと描かれる文章に心から痺れた。
そこから、彼女が出ている映画も観るようになり、小津安二郎や木下恵介、成瀬巳喜男を知った。当時はよく分からなかったけれど、白黒映画を観てる自分に酔ってた感じだろうか。それでも『流れる』は好きで何度も観た。
あれから12年。最近また映画を観返しているのだが、写真を始めた事もあって、その構図の気持ちよさにやられている。人の被り方や、障子や七輪の場所、俳優がシルエットで泣くシーンなど、全てがポストカードに出来そうな完成度。そしてそこで淡々と演技する高峰秀子。スゴイよー!こんな美意識の中にいて、彼女の美意識がより磨かれるのは必然だっただろうと思う(彼女のセンスの良さは『瓶の中』という本に凝縮されています)。
と、高峰秀子愛を語ってきたが、この話でのポイントは、物書きオジサマの存在である。自分が50過ぎのオバサマになった時に、20代の若造に遠慮する事なく、オススメをプレゼントできる強引さを持てるだろうか。良いものは良い。しかしそこを繋ぐ人がいなければ、永遠に出会う事はないだろう。
もう名前も忘れてしまった彼に感謝しつつ、私も、あくまで粋に、しかし少々お節介なオバサマを目指そうと思うのだった。
…と終わろうとして、イヤイヤもうお節介オバサマまっしぐらかもと自分で気づく。「はい、本ハラ~(本ハラスメント)」と言いつつ、読み終わった本を後輩に渡すことは日常的にやっていました。大変失礼しました。