田舎のダメお嬢と呼ばれて

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【mixiより】(アイルランド/ロンドン/東京)ダンサーになりたかった頃の話

※2005年07月14日に書いたものに加筆してます。

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ロンドンで1か月間、ダンススクールに通っていた。 

アイルランド留学中にやってきた1か月の冬休み。

 

「ここにはいられない!」

 

一大決心をして、ある夜にインターネットでダンス留学を検索した。


家を探して、レポート終わらせて、親はメールで「後でお金返すから!」と説得して、1月7日、飛行機で1時間のロンドンへと旅立った。

 

ロンドンの街に行ったことはなかった。本当に右も左も分からない。

しかも「着いたら電話してください」って言われてたフラットの管理人やってる日本人の女の子と連絡がつかず、すごい不安だった。だけど彼女は地下鉄に乗ってたらしく、30分後韓国人の彼氏と一緒に「ほんとごめんね~!!」と息を切らせながら迎えに来てくれた。

 

フラットメイトは韓国人3人と日本人2人。
「シェアなんて出来るのかな?トイレとか争奪戦??」
て思ってたけど全然平気だった。 

欧米人とだとキツイ(掃除・洗い物しないとか)って聞くけどアジア人てやっぱりキレイ好きやなぁ・・・いいことだなぁ。

 

次の日からダンス生活が始まった。

 

月曜日~土曜日まで、週6でスクールに通った。

朝起きて、地下鉄乗って、スクール着いて、踊って、サンドイッチ食べて、踊って、帰って、寝る。

ほんとに毎日その繰り返しで1か月が過ぎた。友達は一人も出来なかった。レッスン出て、たまに前とかで踊って、終わったら即効で帰るか3階のカフェ直行で振りメモってる、はたからみたら変な東洋人だったはず、、

 

アッシャー、ミッシーなんかと仕事してる先生達、本気でダンサー目指して集まってる生徒達。初めての世界で、刺激的で、楽しくて。HIPHOP中心に、フリースタイル、JAZZ、マイケルジャクソンスタイルとやらのクラスまで、取れるだけ取った。

 

2月にアイルランドに帰って、その刺激の無さに落胆した。
スクールを探して、2つかけもちで通ったけれど、やっぱりロンドンに比べたらレベルも熱気も天と地との差があって。

 

あの1か月で、私の中でダンスに対する情熱が劇的に上がったのだった。

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●ロンドンのコベントガーデン(当時は日本で言う代官山みたいだった。)にあったスタジオ。

www.pineapple.uk.com

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その後、私は帰国し、大学卒業してフリーターになった。

当時一番大手だったダンス掲示板で相方を募集し、都内でダンサー活動開始。

 

相方が曲を選び、二人で振りを考える。

お互いに人脈を広げて、ショーケースで出られる場所を増やしつつ、

本番前は東中野のレンタルスタジオで深夜練習。

全然振りが浮かばずに吐きそうになったり、相方と喧嘩をしたりしながらショーを作るのは、辛かったけれど、楽しかった。

でも結局、プロのレベルには行けなくて。

 

お笑いの世界に似ているのだろうか?

組んでいた当時は、相方と二人で遊ぶ、みたいなことなかったなぁ。。。

(今は良い友達になっています)

 

25歳で辞めるまでちゃんと没頭したからこそ、今でも愛を持って業界を見られるのだと思う。

あと、踊りやラップや歌や曲が純粋に好きな人たちと出会ってきたのもある。

 

今現在、都内ではクラブ撲滅運動がさかんだけれど、遊び方や場所が違うだけで、普通に「好き」なだけなのになと思う。

サッカー好きです、映画好きです、と変わらない。

知らない事柄が多いとすぐ人間は排除をしたがる。

これは非常に悲しいし無意味だ。

 

今、日本のダンサーレベルは格段に上がっている。「丁寧さ」がプラスされた日本人のダンスは、ダイナミック押しの海外ダンサー(コントロールすべき身体自体が大きいから仕方ないのだけれど)を押しのけて、きっとこれからますます飛躍するはずだ。

 

楽しみすぎる。

www.youtube.com

 

【小話】7 ~過去の仕事シリーズ~ イベントディレクター編

~過去の仕事シリーズ~ イベントディレクター編

ジュエリー営業を辞めた私は、またの求職活動に入りました。
フリーター上がりでブラック企業2か月で辞めてる私、そんな人材どこが採ってくれるのよ・・・と覚悟は出来てましたが、悶々と2か月が経過。
当時住んでた初台の家でお酒を飲む日々が続いてました。(不安で暇だと人はお酒に逃げるということが判明。まぁ、幸せで忙しくても飲むんだけれど、笑)

 

そんな中拾ってくれたのが、あるイベント会社でした。

 

ある大きな組織の下請け会社的な存在だったそこは、
ある大きな音楽イベント事務局のアシスタントを探していて、
奇跡的にそのポジに就けることに。

「出向」という形でお邪魔する、私には縁のなかった大きな組織。
でも言わば事務局内は業者寄せ集めチームで、
皆さん気さくで優しくて、すごく楽しかった。

 

私に備わっていなかった”一般常識”というものも、
一緒に出向してた先輩はじめ皆さんに教えてもらいました。
(青グラデネイルは職場に向かないのだな、とか。超初歩!笑)

 

そのチームのボスが、前にも一度書いたけれど、
「指示が通らないときは、指示の”出し方”が悪かったと思うことにしている」という、今でも大事にしている言葉をくれた人。

 

私はやる仕事が自分の中に落ちないと動けない、面倒くさい人間だったけれど、それにも辛抱強く付き合ってくれました。今思うと本当に恥ずかしい。感謝です。

 

あと社内で言うと、そこでは「下請け根性」みたいなのをものすごく学ばせてもらった。

これ、最初から名のある企業に入った方は永遠に学ぶ機会ないと思うのだけれど、とても貴重だったなと思っていて。

 

・常にクライアントに寄り添え!
・「No」ではなく「考えさせてください」と言え!
・でも、最後のプライドは捨てるな!

 

みたいな?(笑)

 

出向後は官公庁の仕事などもやりましたが、「業者」の扱いがうまい人ととそうじゃない人、色々出会って色んな思いをしたので、今でも結構敏感です。(でも、「業者」としてプライドもって仕事してない人にも敏感です。)

 

3年半いたその会社では、一応イベントディレクターとしてイベントを担当できるくらいにはなりました。

 

数ヶ月後の「本番」に向かって加速していく準備期間、広告打って集客して、ぽこぽこ現れる問題点を一つずつ潰す感覚、本番前日の不安と期待の入り混じった緊張、本番中のドキドキ、終わった後の美味しいビール、まったりと報告書と請求書作成してーの、次の仕事の見積もり作成&営業。

 

なんだか「学祭の延長」みたいなイベントの仕事、好きだったなぁ。

 

そして高校生の全国地域おこしコンテスト事務局を経験したことをきっかけに、私の夢が決まります。

 

「自身も地域おこしができる人材になりたい!」

そうして私はまた、転職を重ねるのでした。

つづく。

【小話】6 ~過去の仕事シリーズ~ ジュエリー営業編

~過去の仕事シリーズ~ ジュエリー営業編

大学卒業後、フリーターをしていた私。

ある日就職を決意したはいいものの「夢を諦めて就職しようと思います!」な25歳に世間は冷たく、「君の価値はゼロだよね?」なんてベンチャー社長に言われちゃう面接が続いていました。

そんななか即採だったのが、田町にあった、ジュエリー会社の営業職。

 

平たく言えば、”地方の20代~30代の実家暮らしで小金持ちの娘さんや息子さんに、ジュエリーを買ってもらう”という仕事。

営業部は総勢15人くらい。
部長はタメで、先輩方もほぼ年下、という会社でした。

 

・2週間に1度の地方展示会に向け、ひたすら電話。
・かけるのは、出所がよく分からない固定電話リスト。
・女性社員は男性客、男性社員は女性客を担当。
・親が出た場合、友達を装ってつないでもらう。
・本人に繋がったら、個人携帯を交換して関係を「育てる」
・11時~22時の就労時間中、休憩は30分あるかないか。
・週休1日は、アポが取れてない場合週休0日になる。
・展示会中も、自由時間はなし。

 

今考えれば完全なるブラックだったのだけれど、やっと就職できた!という想いと、タメの部長を抜いてやる!という野心と、歩合制だったので、これからじゃ~!という変な気合いがあった。

 

幸い、専門学校のアポインターしてたのもありアポは取れる方だったのだけれど、でもでも、バリバリにダイヤ売ってるこの先輩(年下)も、顧客たくさんいるこの先輩(年下)も、幸せそうじゃないよなぁ~。。。

と悩みに悩み、2か月半でサヨナラをしました。

 

「ごくろうさん。大きくなれよ」

 

タメ部長からのメールに田町駅までの道で号泣し、サラリーマン達がびっくりしていたことは、今となってはいい思い出(笑)

数年後に近くを通ったのでのぞいて見たら、跡形もなくなっていました。(別事業もやってたからそちらに行ったのかも?)

 

大声でもはや何を言っているか分からない朝礼とか、社長の鋭すぎる眼光とか、精神論バリバリな雰囲気も、頑張ったけど、慣れなかったなぁ~。
でも、あれはいい経験だった。

 

当時展示会で香川に行ったんですが、うどんも食べられなかったし後日クーリングオフが来た苦い経験しかないので、去年改めて香川に観光旅行に行きました。

レポはまた後日♪

【小話】5 ~過去の仕事シリーズ~ 選挙ウグイス編

~過去の仕事シリーズ~ 選挙ウグイス編

友人の友人のお父様が出馬するということで、区議会議員選のウグイスをやったことがあります。

もう何期もやられている方で再選をかけての戦い。

でも支持者の高齢化もあって今回は危ういかも・・・という状況でした。

 

朝8時から夜8時までみっちりとウグイスに徹するのですが、学生だった私には有難いバイト代だったこともあり、とにかく数日間がむしゃらに頑張りました。

 

・電信柱の住所は見逃さず、「●●丁目のみなさま~」と盛り込むこと
・手を振ってくださる方には「2階からありがとうございます!」などすぐにリアクションを返すこと
選挙カー(通称”センシャ”)のスピードが遅い(=住宅街など)ときはマニフェストを、速いとき(=大きい道路)は名前を連呼すること

などなど・・・・

初のお仕事に戸惑いまくり。

 

歩きながら遊説することを”桃太郎”というのですが、これも地味にきつかった。

あと先生はマラソン遊説とやらをやっている方で、トラメガ抱えて一緒に走ったりもした。

雨が降ってもセンシャの窓は閉めず、びしょぬれで手を振る。

剥げ落ちる化粧に、枯れていく喉。

事務所に戻って奥様の入れてくれる柚子茶を味わった後、ぐったりしながら丸の内線に乗って帰る数日間は、もはや修行でした。

 

でも、コムスメ時代に、大人が本気で戦う姿を見られたのはとても貴重だったと思う。傍から見ると時々滑稽にも映る選挙活動ですが、中身は大真面目で、大の大人がここから4年の職をかけて、なりふり構わず戦っていました。

 

結果、先生は無事に当選し、とても嬉しかったことを覚えています。

そしてバイト代は、少し豪華な飲みへと姿を変えたのでした。

 

と書きながら思い出したこの映画。
2が出ていた!面白くてオススメです。

映画『選挙2』公式サイト

【小話】4 ~過去の仕事シリーズ~ 夢の国のキャスト編

~過去の仕事シリーズ~ 夢の国のキャスト編

18歳で大学進学のため上京(埼玉だけど)した私を待っていたのは、夢の国でのバイト募集情報。

「え!テーマパークでバイト?時給800円?めっちゃいーやん!」

時給600円代の世界からやってきた私は関東の時給相場を知らず、時給いいし、どうせなら面白そうなのがいいよね~という軽い気持ちで面接に向かいました。

結果、グッズ販売で採用。
フリフリのブラウスに赤リボン、チェックのロングスカートというなかなかのコスチュームでキャストデビューしたのでした。

「こんにちはぁ~^^」「ありがとうございまぁす^^」

あの特有の喋り方は、周りがそうだから伝染していくのですね。毎日戦場と化すレジを必死で捌きながら、本当にたくさん失敗をしました。

・急いでいてあるキャラクターに”さん”をつけ忘れたら社員に怒られた
・あるグッズを、隣の店に聞きにいくだけで良かったのに持ってきて自分の店でゲストに売ってしまった
・マグカップ5個なのに50個で会計してしまった
・休みに髪を染めすぎて、連休明けに出勤したら帰らされた

etc....

ほんと、オイオイ、という学生バイトでした(笑)

でも都度、先輩方は投げずに優しく助けてくれた。

あとは、独自の仕組みでスタッフのスキルとモチベーションが保たれるように配慮されていたことも、今になってみれば分かります。
だからそんなアホ学生でも、1キャストとしてなんとか仕事ができていたのだと思う。やはり仕組みって大事。

留学のため8か月で卒業させてもらいましたが、初バイトが夢の国で良かった、と今でも感謝しています。

そしてあの頃の私を辛抱強く指導してくださった先輩方にも、本当に感謝。

今度は私が返す番。

ということで初バイトの子にはより、暑苦しくなるのであります(笑)