田舎のダメお嬢と呼ばれて

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【小話】11 ホチキスの話

世の中には二種類の人間がいる。
ホチキスの芯を、補充する人としない人。
「あ、芯きれちゃった」の後に、補充するか、その他のホチキスを手に取るか。

他にも、世の中では”気づいた人がやればいい”ことってすごく多い。そうすると、”気づく人”が結局それをやることになる。それがすっごく損だなぁって昔思ってて。

気づいちゃうと気持ち悪いからやる。それによって自分ばっかり仕事増える感じがする。でも気になる。悶々・・・みたいな。

あと、気づいた人は注意する義務があるって思ってたから、結構周りに言うタイプだった。幼少期から結構最近まで、ずっと。ほら、学級委員だったし?(笑)

でも、それって全然意味ないって分かった。

自分と他者は、育ちもキャパも得意分野も違うのだって最近やっと分かったから。
気づいたポイントがズレているのかもしれない。本当に何も考えてないのかもしれない。私だって気づいない事柄たくさんあるだろうし。

自分がやりたいのならやればいいだけの話。
何の義務もプレッシャーもなく、やりたきゃやればいい。やらなきゃやらないでいい。

仕事もしかり。

背負え、と言われていないものを背負う必要はなしナンデスネー!
それに気づいて、めっちゃ楽になったのです。

なんだかうまく表現できていない感じがするけど、私にとっては革命だった。

あるメルマガの相談コーナーにて。

教師「子どもが靴を揃えません。どうしたら靴を揃えさせることができますか?」
回答者「大丈夫です。何も言わずにあなたが揃え続けて。いつか子どもは気づきます。」

ウンウン、きっと世の中ってそういうモンだと、今ではめっちゃ思います。

【小話】10 日本の素敵な社長さん

 ※2013年7月6日に書いたものです。

 

4年前、就職することにし、面接受けまくっているときに、課題が出ているにも関わらずやんなくて面接行ったことがある。(ジュエリー営業に内定が決まったため、余裕ぶっこいていた)


さらっと帰ってこようと向かった広告代理店。

まさかの社長(30代くらい)が面接官だった。

 

まじかー・・・ヤバイ。。

 

焦る私に気付いているのかいないのか、とても強い目と優しい物腰を持つその人の面接が始まる。


実は内定決まっていること。
課題やってきてないこと。
もともとダンスしてたこと。
就活で苦戦してること。
自分の強みが分かんないこと。


彼の質問に次々に答えていきながら、もう、自分が恥ずかしくて申し訳なくてたまらなかった。


普通なら一喝!して終わり、もしくは会わないよね、そんなフラフラ就活人。


”今日は本当にすみませんでした。
あなたはズバ抜けて人間に優しくて、そんな人が率いる会社に、私がやる気なく伺ったことが本当に恥ずかしい。

社長に言われた「諦め慣れちゃってるんじゃないの?」という言葉に衝撃を受け、じっくり考えている。あなたに会えた私は幸運。本当にありがとうございます。私は内定をもらっている会社で、いい営業マンになります。”

みたいなメールをその日に送ったんだけど、それに対して社長が返信をくれた。


”君への想いは面接で言ったから多くは言わないが、もし●●で働く気がおきたら連絡下さい。その時は採用する。
闘いは続きます。今後2人が顔をあわせる事はないかもしれないが、心を共に私は生きていきます。
君がくれたメールで私は救われた。ありがとう。”

 

超感動したのだけど、たぶん当時バタバタしてたし、今まで友達とかに話していない気がする。
なんとなくログを見てたらメールを発見したので、UPしてみました。

 


日本にはこんな社長がいます。超カッコイイ。

 

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この出来事は今でもたまに思い出します。

甘甘だった自分を受け止めて叱ってくれた、カッコいい大人。

 私もこういう人間になりたいと強烈に思った出来事です。

精進、精進。

【小話】9 夢のはなし

中学生のころ、夢占いにハマっていた。

枕元にノートとペンを置き、起きがけにひたすらキーワードを書く。

そしてそれをひたすら検索(当時はもちろん本ですよ?笑)する。

 

思春期の夢なんて、自己嫌悪、自己嫌悪、ときどき好きな子、自己嫌悪、みたいなサイクルなわけだけれども、

 

「不安な気持ちの現れです」

「日々にフラストレーションを抱えています」

「相手との距離に悩んでいる証拠です」

 

という診断結果と日々戦っていたわけだ。

 

そのころのクセなのか、今でも見た夢はほぼ完全に覚えている。

 

映画作れるんじゃない?というほどの感動大作に出会うこともあれば、

スプラッター気味だったり、モトカレ総動員だったり、

激怒する夢のときは必ず英語だったりする。

(これ、英語でバランスとってると思われる。イヤ取れてないから、笑)

 

 

これまで幾度か、転職の機会があったが、

その付近には、毎日毎日、「居心地が悪い家」が出てきていた。

 

奥のほうに知らない人の部屋がある。

ユウレイがいる。

とにかく汚い。

超狭い。

そもそもドアがない。

 

「そこはアナタの居場所じゃない!」と、夢が健気に知らせてくるのだ。

 

 

そんな本能に従い転職を重ねる自分にまた自己嫌悪なわけだけれど、

「あー、またイヤな家出てきたな・・・」から始まる朝は結構憂鬱で、

それがなくなったことは単純に嬉しい。

 

 

昨日は、広くてキレイで真っ白な家が出てきた。

 

水周りも充実してて、心地の良い、素敵な家だった。 

 

ただ、「友人家族の家にお邪魔した」という設定だったので、

まだソレお前の土俵じゃないよ、と冷静に示唆してくれていると思われる。

 

はい、がんばります。

【小話】8 地震の時の気持ち

※2011年03月21日、東日本大震災のあとに書いたものです。当時は6階に住んでいて、毎日余震に怯えていました。
現在、日々のニュースと両親からの連絡に、気持ちが揺れます。どうか被害が拡大しませんように。

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地震が起こって、一瞬で、日本がぐちゃぐちゃになった。 

優しさ、死、エゴ、思いやり、不安、危険性、混乱。 
私個人は無力である、という事実。 

母からメールが届く。 

「アナタにできることは、一刻も早く、帰ってくることじゃないと? 
この時期にアナタが東京におらんといかん理由はなに?」 

東京に行きたい!田舎じゃできん、色んなことをしてみたい! 

そう思って上京し、8年が経った。 

不純な欲望はほとんど満たし、途中でダンサーという夢を持ち、敗れて、イベント業界へ入った。 

その仕事は、今回のことで危うくなっている。 

「私は東京で稼ぐと!そして経済を回していくと!」 

そう言い切れない現実。 

自分の根本が、ぐらぐらと、揺さぶられている。 


被災地の悲惨な情報が、次々に入ってくる。 
一日に数回は、余震が来る。 
コンビニから食料が消え、ガソリンスタンドの列はどこまでも続く。 


「東京におらんといかん理由はなに?」 


この問いに、もはや強い理由を返せない自分がいるんだな。 

その事実が、強烈に自分を襲った。 


地元に帰る決断をした友達がいる。 
一時的に帰っている友達もいる。 


さまざまな決断のとき。 


赤十字に寄付をした。 
ぐちゃぐちゃな感情をのせて。 

会社(しいては社会)に対し何も利益を生み出せない人材である今、 
私が東京にしがみついていることは、とても無意味なことなのでは。 


毎日、いろんなキモチに揺さぶられています。

【mixiより】(アイルランド/ロンドン/東京)ダンサーになりたかった頃の話

※2005年07月14日に書いたものに加筆してます。

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ロンドンで1か月間、ダンススクールに通っていた。 

アイルランド留学中にやってきた1か月の冬休み。

 

「ここにはいられない!」

 

一大決心をして、ある夜にインターネットでダンス留学を検索した。


家を探して、レポート終わらせて、親はメールで「後でお金返すから!」と説得して、1月7日、飛行機で1時間のロンドンへと旅立った。

 

ロンドンの街に行ったことはなかった。本当に右も左も分からない。

しかも「着いたら電話してください」って言われてたフラットの管理人やってる日本人の女の子と連絡がつかず、すごい不安だった。だけど彼女は地下鉄に乗ってたらしく、30分後韓国人の彼氏と一緒に「ほんとごめんね~!!」と息を切らせながら迎えに来てくれた。

 

フラットメイトは韓国人3人と日本人2人。
「シェアなんて出来るのかな?トイレとか争奪戦??」
て思ってたけど全然平気だった。 

欧米人とだとキツイ(掃除・洗い物しないとか)って聞くけどアジア人てやっぱりキレイ好きやなぁ・・・いいことだなぁ。

 

次の日からダンス生活が始まった。

 

月曜日~土曜日まで、週6でスクールに通った。

朝起きて、地下鉄乗って、スクール着いて、踊って、サンドイッチ食べて、踊って、帰って、寝る。

ほんとに毎日その繰り返しで1か月が過ぎた。友達は一人も出来なかった。レッスン出て、たまに前とかで踊って、終わったら即効で帰るか3階のカフェ直行で振りメモってる、はたからみたら変な東洋人だったはず、、

 

アッシャー、ミッシーなんかと仕事してる先生達、本気でダンサー目指して集まってる生徒達。初めての世界で、刺激的で、楽しくて。HIPHOP中心に、フリースタイル、JAZZ、マイケルジャクソンスタイルとやらのクラスまで、取れるだけ取った。

 

2月にアイルランドに帰って、その刺激の無さに落胆した。
スクールを探して、2つかけもちで通ったけれど、やっぱりロンドンに比べたらレベルも熱気も天と地との差があって。

 

あの1か月で、私の中でダンスに対する情熱が劇的に上がったのだった。

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●ロンドンのコベントガーデン(当時は日本で言う代官山みたいだった。)にあったスタジオ。

www.pineapple.uk.com

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その後、私は帰国し、大学卒業してフリーターになった。

当時一番大手だったダンス掲示板で相方を募集し、都内でダンサー活動開始。

 

相方が曲を選び、二人で振りを考える。

お互いに人脈を広げて、ショーケースで出られる場所を増やしつつ、

本番前は東中野のレンタルスタジオで深夜練習。

全然振りが浮かばずに吐きそうになったり、相方と喧嘩をしたりしながらショーを作るのは、辛かったけれど、楽しかった。

でも結局、プロのレベルには行けなくて。

 

お笑いの世界に似ているのだろうか?

組んでいた当時は、相方と二人で遊ぶ、みたいなことなかったなぁ。。。

(今は良い友達になっています)

 

25歳で辞めるまでちゃんと没頭したからこそ、今でも愛を持って業界を見られるのだと思う。

あと、踊りやラップや歌や曲が純粋に好きな人たちと出会ってきたのもある。

 

今現在、都内ではクラブ撲滅運動がさかんだけれど、遊び方や場所が違うだけで、普通に「好き」なだけなのになと思う。

サッカー好きです、映画好きです、と変わらない。

知らない事柄が多いとすぐ人間は排除をしたがる。

これは非常に悲しいし無意味だ。

 

今、日本のダンサーレベルは格段に上がっている。「丁寧さ」がプラスされた日本人のダンスは、ダイナミック押しの海外ダンサー(コントロールすべき身体自体が大きいから仕方ないのだけれど)を押しのけて、きっとこれからますます飛躍するはずだ。

 

楽しみすぎる。

www.youtube.com