田舎のダメお嬢と呼ばれて

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小話92 映画『沈没家族』とわたしの家族

「沈没家族」と名付けられた"共同保育の家"で育った監督が、八丈島に住む母や三重県に住む父、かつて保育者となった人々に会いに行き、家族について考えていく話。福岡県で同じような暮らしをしている方を知っていることもあり、とても興味深く観た。


家族ってなんなんだろう?


一見シンプルだが、監督から向けられる質問に答える人は、それぞれに違う反応を見せる。一生懸命考えたり、感情が高ぶったり、困ってしまったり。でも答えることを放棄する人がひとりもいないのが印象的だ。


ちなみに私は、両親と弟、庭を挟んだ向かいの家に母方の祖父母とおば(母の姉)、でもまぁ田舎だから周りは親戚だらけという環境で育った。放課後の面倒は祖母が見てくれて、両親が帰宅すると家で過ごすが、祖父母の家にもしょっちゅう行く。庭で花火をする時は6人みんな集まるし、近所の人も結構な頻度で来ていて、こちらは誰か分からないのにみんな「あっこちゃん大きくなったね〜」と言うのだ。


映画の中で「家の中に逃げ場があったよね。親に怒られても〇〇の部屋に行けば甘えられたし」って監督と一緒に育った女の子が話してるんだけど、なるほど、親以外の存在が日常的にいるというのは幸運なことだったかもしれないと思った。


あと私にとって大きいのはおばの存在だ。彼女は2人目の母のような感じで、ガチで喧嘩もしたが、母とは違う距離感で付き合える人だった。独身の英語教師だった彼女には友人が多く、ハローくらいしか言えない頃に外国人が家に来たり、謎の友人コミュニティ登山に私も同行したりした。私は人見知りだったのでその度に緊張したが、幼い頃から大人と話す機会があったのは彼女のおかげだろう。還暦をとうに過ぎた今でも変わらず〇〇姉ちゃんと呼んでいる。


しかし、その近さにいた人達がもし全員他人だったら?そこに血の繋がりがあるかどうかで、安心感や感じ方は何か変わっていただろうか?


「家族」


この仕組みをどう捉えるのか。


深掘りしたいテーマをもらった感じでした。

観た方いたらぜひ語りましょう。

 

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