田舎のダメお嬢と呼ばれて

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【小話】12 デブコンプレックスからの離脱(イチ三十路の感情論)

4000gちょっとで産まれた。
そこからしてもうおかしい数字なんだけれども、
共働きの両親のもと、祖父母にガンガン可愛がられ、
その後も着実に体重を増やしていった私。

誰がどう見ても肥満児だった。


「デ~ブ!」
コドモ特有のまっすぐで正直な描写に傷つき
でも男子の前で泣くことはプライドが許さず
よくトイレで泣いていたっけ。

一回キレて○○くんの胸ぐら掴んだら、
勢い余って服が破けちゃったこともあった。(テヘ♪)


なぁんかその頃に男は敵!みたいなそんなイメージが
出来上がっちゃったんだよね。
負けちゃーなるまい的な。

女の子も時々チクっと言ったりするから
それはそれで痛くて、
だから外見以外で、私は頑張った。
ピアノ、習字、勉強、作文、読書・・・
ちょくちょく賞もとってたから、
まぁ日常生活がそんなに辛かったわけじゃない。

でも、コンプレックスはずっとあった。

 

小5のある日、家のトイレに座る私。
何気なくお腹の肉を掴んだら
だいぶ先まで、伸びた。
・・・ヤバイ
これが、ダイエットを決意した瞬間。

間食を一切やめ、
食事も野菜中心にし、
夜は毎日叔母とウォーキング。

 

 

1年後、小6になった私の体重は10kg減っていた。

 

 

久々に会う、○○ちゃんのお母さんとかに
「んまー!誰かと思ったわー!」と言われるほどの
サイズダウン。

その頃の写真は、今数えるととても多い。
全身が写ってる、にっこり笑ったピース写真。
我ながらイイ笑顔してる(笑)

 


中学校に入り、
初めての告白をされた。

最初、意味が分からなかった。

自分が恋を「される」立場だなんて
それまでこれっぽっちも思ってなかったから。


敵だった男の子達が、そして世界全体が、
私に急に優しくなった気がした。
突っ張ってた心がふわっと緩んで、
素直に嬉しくて、きゅんとした。


大げさに聞こえるだろうけど、
やっと人間として認められた気がした瞬間だったんだ。

 


以上、私が初めて、
デブコンプレックスから抜け出せたときの話でした。

【小話】11 ホチキスの話

世の中には二種類の人間がいる。
ホチキスの芯を、補充する人としない人。
「あ、芯きれちゃった」の後に、補充するか、その他のホチキスを手に取るか。

他にも、世の中では”気づいた人がやればいい”ことってすごく多い。そうすると、”気づく人”が結局それをやることになる。それがすっごく損だなぁって昔思ってて。

気づいちゃうと気持ち悪いからやる。それによって自分ばっかり仕事増える感じがする。でも気になる。悶々・・・みたいな。

あと、気づいた人は注意する義務があるって思ってたから、結構周りに言うタイプだった。幼少期から結構最近まで、ずっと。ほら、学級委員だったし?(笑)

でも、それって全然意味ないって分かった。

自分と他者は、育ちもキャパも得意分野も違うのだって最近やっと分かったから。
気づいたポイントがズレているのかもしれない。本当に何も考えてないのかもしれない。私だって気づいない事柄たくさんあるだろうし。

自分がやりたいのならやればいいだけの話。
何の義務もプレッシャーもなく、やりたきゃやればいい。やらなきゃやらないでいい。

仕事もしかり。

背負え、と言われていないものを背負う必要はなしナンデスネー!
それに気づいて、めっちゃ楽になったのです。

なんだかうまく表現できていない感じがするけど、私にとっては革命だった。

あるメルマガの相談コーナーにて。

教師「子どもが靴を揃えません。どうしたら靴を揃えさせることができますか?」
回答者「大丈夫です。何も言わずにあなたが揃え続けて。いつか子どもは気づきます。」

ウンウン、きっと世の中ってそういうモンだと、今ではめっちゃ思います。

【小話】10 日本の素敵な社長さん

 ※2013年7月6日に書いたものです。

 

4年前、就職することにし、面接受けまくっているときに、課題が出ているにも関わらずやんなくて面接行ったことがある。(ジュエリー営業に内定が決まったため、余裕ぶっこいていた)


さらっと帰ってこようと向かった広告代理店。

まさかの社長(30代くらい)が面接官だった。

 

まじかー・・・ヤバイ。。

 

焦る私に気付いているのかいないのか、とても強い目と優しい物腰を持つその人の面接が始まる。


実は内定決まっていること。
課題やってきてないこと。
もともとダンスしてたこと。
就活で苦戦してること。
自分の強みが分かんないこと。


彼の質問に次々に答えていきながら、もう、自分が恥ずかしくて申し訳なくてたまらなかった。


普通なら一喝!して終わり、もしくは会わないよね、そんなフラフラ就活人。


”今日は本当にすみませんでした。
あなたはズバ抜けて人間に優しくて、そんな人が率いる会社に、私がやる気なく伺ったことが本当に恥ずかしい。

社長に言われた「諦め慣れちゃってるんじゃないの?」という言葉に衝撃を受け、じっくり考えている。あなたに会えた私は幸運。本当にありがとうございます。私は内定をもらっている会社で、いい営業マンになります。”

みたいなメールをその日に送ったんだけど、それに対して社長が返信をくれた。


”君への想いは面接で言ったから多くは言わないが、もし●●で働く気がおきたら連絡下さい。その時は採用する。
闘いは続きます。今後2人が顔をあわせる事はないかもしれないが、心を共に私は生きていきます。
君がくれたメールで私は救われた。ありがとう。”

 

超感動したのだけど、たぶん当時バタバタしてたし、今まで友達とかに話していない気がする。
なんとなくログを見てたらメールを発見したので、UPしてみました。

 


日本にはこんな社長がいます。超カッコイイ。

 

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この出来事は今でもたまに思い出します。

甘甘だった自分を受け止めて叱ってくれた、カッコいい大人。

 私もこういう人間になりたいと強烈に思った出来事です。

精進、精進。

【小話】9 夢のはなし

中学生のころ、夢占いにハマっていた。

枕元にノートとペンを置き、起きがけにひたすらキーワードを書く。

そしてそれをひたすら検索(当時はもちろん本ですよ?笑)する。

 

思春期の夢なんて、自己嫌悪、自己嫌悪、ときどき好きな子、自己嫌悪、みたいなサイクルなわけだけれども、

 

「不安な気持ちの現れです」

「日々にフラストレーションを抱えています」

「相手との距離に悩んでいる証拠です」

 

という診断結果と日々戦っていたわけだ。

 

そのころのクセなのか、今でも見た夢はほぼ完全に覚えている。

 

映画作れるんじゃない?というほどの感動大作に出会うこともあれば、

スプラッター気味だったり、モトカレ総動員だったり、

激怒する夢のときは必ず英語だったりする。

(これ、英語でバランスとってると思われる。イヤ取れてないから、笑)

 

 

これまで幾度か、転職の機会があったが、

その付近には、毎日毎日、「居心地が悪い家」が出てきていた。

 

奥のほうに知らない人の部屋がある。

ユウレイがいる。

とにかく汚い。

超狭い。

そもそもドアがない。

 

「そこはアナタの居場所じゃない!」と、夢が健気に知らせてくるのだ。

 

 

そんな本能に従い転職を重ねる自分にまた自己嫌悪なわけだけれど、

「あー、またイヤな家出てきたな・・・」から始まる朝は結構憂鬱で、

それがなくなったことは単純に嬉しい。

 

 

昨日は、広くてキレイで真っ白な家が出てきた。

 

水周りも充実してて、心地の良い、素敵な家だった。 

 

ただ、「友人家族の家にお邪魔した」という設定だったので、

まだソレお前の土俵じゃないよ、と冷静に示唆してくれていると思われる。

 

はい、がんばります。

【小話】8 地震の時の気持ち

※2011年03月21日、東日本大震災のあとに書いたものです。当時は6階に住んでいて、毎日余震に怯えていました。
現在、日々のニュースと両親からの連絡に、気持ちが揺れます。どうか被害が拡大しませんように。

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地震が起こって、一瞬で、日本がぐちゃぐちゃになった。 

優しさ、死、エゴ、思いやり、不安、危険性、混乱。 
私個人は無力である、という事実。 

母からメールが届く。 

「アナタにできることは、一刻も早く、帰ってくることじゃないと? 
この時期にアナタが東京におらんといかん理由はなに?」 

東京に行きたい!田舎じゃできん、色んなことをしてみたい! 

そう思って上京し、8年が経った。 

不純な欲望はほとんど満たし、途中でダンサーという夢を持ち、敗れて、イベント業界へ入った。 

その仕事は、今回のことで危うくなっている。 

「私は東京で稼ぐと!そして経済を回していくと!」 

そう言い切れない現実。 

自分の根本が、ぐらぐらと、揺さぶられている。 


被災地の悲惨な情報が、次々に入ってくる。 
一日に数回は、余震が来る。 
コンビニから食料が消え、ガソリンスタンドの列はどこまでも続く。 


「東京におらんといかん理由はなに?」 


この問いに、もはや強い理由を返せない自分がいるんだな。 

その事実が、強烈に自分を襲った。 


地元に帰る決断をした友達がいる。 
一時的に帰っている友達もいる。 


さまざまな決断のとき。 


赤十字に寄付をした。 
ぐちゃぐちゃな感情をのせて。 

会社(しいては社会)に対し何も利益を生み出せない人材である今、 
私が東京にしがみついていることは、とても無意味なことなのでは。 


毎日、いろんなキモチに揺さぶられています。