「あっこはさ、特別キレイでも可愛くもないけど、自分の”見せ方”が上手いんだよねぇ。今日も…なにその透け感!(服のことです)」って、昔ゲイの友達に言われ、爆笑した事がある。
アナタとわたしの「距離感」を正確に判断し、”アナタが見てもらいたいアナタ像"を察知し(”わたしが納得しやすいアナタ像”を押し付けるんじゃなく)、ベストなタイミングで言動に移す。
彼を含むゲイの友達はなぜかおしなべてその能力が高く、お手本にしています。
「あっこはさ、特別キレイでも可愛くもないけど、自分の”見せ方”が上手いんだよねぇ。今日も…なにその透け感!(服のことです)」って、昔ゲイの友達に言われ、爆笑した事がある。
アナタとわたしの「距離感」を正確に判断し、”アナタが見てもらいたいアナタ像"を察知し(”わたしが納得しやすいアナタ像”を押し付けるんじゃなく)、ベストなタイミングで言動に移す。
彼を含むゲイの友達はなぜかおしなべてその能力が高く、お手本にしています。
「牧水・短歌甲子園」に、俵万智さん(宮崎在住)目当てで行ってきた。
この大会、ヤバイ。
作品披露→歌についてディベート→勝敗
の流れなんだけれど、現在の高校生が何を感じてるのかも分かるし、本当に優秀なんだなと実感した。
特に感動したのが、ディベートの部分だ。
自分が一生懸命考えた作品を披露して、それについて皆の前で直接ダメ出しを受けつつ、本当の意図を押し返したり、押し返せなかったり。
途中で、これはビジネスの場でやられている事と一緒じゃないか!と気づく。
しかもプレゼンするのは「自分の生みだした作品」。会社の商品やサービスでは無いのだ。状況は更に厳しく、感情的になっても仕方がないはず。
しかし彼らは、冷静なのだ。
言葉の戦いなのだから言葉で返す、という姿勢に、心底シビれる。
「◯◯が印象的な、とても良い歌だと思いました。ただ一点気になったのは・・・」
「ご指摘ありがとうございます。◯◯に関しては・・・」
「分かりました。ありがとうございます。ちなみに◯◯には何か意図があるのでしょうか?」
わーん!
ちゃんとボールを打ち返しているよー!
これぞコミュニケーションだよー!
もちろん、うまい言葉が見つからなかったり、田舎と都会の文化の差で理解しあえなかったりする場面もあるのだけれど(全国の高校が集まっている)、丁寧なコミュニケーションの形を観て大感動した。
しかし、そんななか気になったのが、観てる大人側のリアクション。
なんだか変なところで笑いが起こるのは「子どものやってること」っていう視点から抜けられていないからでは?
恐らく平均年齢50歳以上、何らかの身内が来てる感じの雰囲気だったけど、受け手のレベルも問われる大会だったなと思う。
「子ども」にくくって思考停止になるのはとても損な事だし、かつて私はそう言う大人が大嫌いだった。(同時にチョロいとも思ってたけど、笑)
私も着実にババァになっている。
新しい文化への興味を放棄することなく、常に学べる人でありたい。
優勝は、神奈川県立横浜翠嵐高校。
二位は我が母校、延岡高校だった。
この子たちが大人になって行くなんて、これからますます面白い時代が来ることは間違いない。
来年も絶対また来よう。楽しみすぎる。
いま唯一レギュラーで頂いている校正のお仕事がある。(お仕事は随時募集中です~)「コラム本来の面白さを失わぬよう手を入れねば!」と頑張っているのだけれど、ココ気になるけどなんでだろう・・・という時もあり、悩むことがあった。それらをきちんと言語化してくれて、鍛え上げてくれる。そんな本でした。自分の書く文章の反省にもなりました。(接続詞の使い方が甘いな、とか)あと、引用されてる文章がいちいち面白いので、楽しく取り組めますよ。
祖父が死んでから、それまでめちゃめちゃ怖かった霊的なものが、まったく怖くなくなった。(ホラー映画は今でも観ませんが。)
恐らく自分の中で、霊はきっといるよねー、と認めたからだと思う。
プラス、霊とかあの世があると助かるな~(おじいちゃん、墓参りとかで諸々チャラにしてくんないかな)みたいな感じもある。ちょっと疎遠になっているときに急に死んでしまったので、自分的には悔いが残っているのだ。
私の思う「あの世」っていうのは、
・この世とパラレルワールド的に存在してて
・境界があいまいになる時期があって(お盆とか)
・人によっては両方で生きてる(霊感強い人)
みたいな感じ。
(仏教的には「浄土に行って終わり」なので、霊という概念はないとも書いてあったりもするんだけど、ここら辺はリサーチ不足のため感覚で書きまーす。)
90過ぎた祖父母がまだ3人いることもあり、「死」とか「あの世」とかを意識する事が多くなった。でもなんだか、田舎で聞く死の話は、うっすらと明るさを感じる気がする。
だって人はいつか死ぬじゃん?ていう当たり前のことが、当たり前に自覚されてると言うか・・・
もしかして、安心して死ぬことができる余裕なんだろうか?墓もちゃんとあるし、顔見知りも沢山いるし、どうにかなるっしょ的な?
とにかく、あんまり死に怯えてない感じがいいなぁと思うのだ。
一昨日、祖母の実家のお墓参りについて行った。祖父が「明子が行ったって向こうは分からんやろう」と言ってたらしく、笑ってしまった。そりゃまあ、会ったことないけれども。
超酒飲みだったと言う曽祖父のプチ悪口を聞いたり、向かいに住んでいた親戚のおじいちゃんの武勇伝で笑い転げたり。
総じて明るく、何だか人間ぽいお盆を過ごしました。
遅ればせながら読了。
「結婚したいのならば、女子会の回数を減らしてみては?」が東村先生のただ一点の主張であり、その理由は「時間には限りがあるから」なのだとエンディングに描かれていた。
毎度、KEYくんやタラちゃんレバちゃん(そして結構くるのがマミちゃん)が放つ言葉たちは、作者から読者への、愛のこもった散弾銃。(鞭とか言うレベルではないですよね?)
何度も瀕死になるんだけど涙しながらまた読んでしまう、いい漫画でした。